兵庫関
ひょうごのせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
中世の兵庫の津(現在の神戸港)に置かれた関所。鎌倉初期に東大寺の重源上人が大輪田泊・河尻一洲の港湾修築のため、入港船の積荷1石につき米1升の微集権を得た先例があるが、鎌倉末期、1308年(延慶元)には兵庫島升米が東大寺に永代寄進され、西国からの上り船は「石別升米」、下り船は、「置石」という名称の津料を納めた。また1314年(正和3)になると、東大寺は雷火にあった東塔の修造のため、兵庫・一洲・渡辺の3か所の津で徴収する目銭の半分を寄進され、大阪湾内の主要港において、住吉神社とともに関所を造営料所として支配した。なお1315年、兵庫関を襲撃した悪党の中に、尼崎住人8人の名がみえる。
参考文献
- 『兵庫県史』第2巻 1975