出屋敷
でやしき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1669年(寛文9)、青山氏により城下の西のはずれ、竹谷新田地内に建設され、町人の居住する町場であった。戸田氏の時代の1635年(寛永12)絵図では、中国街道は城下の西のはずれの西屋敷の北西部から外へとつながっていたが、青山氏(幸成系)の時代には竹谷御門を出て堀を渡ったところで北へ鍵の手に曲がるように道筋が付け替えられ、この北上する街道沿いに出屋敷が建設された。別所村を隔てた宮町の飛び地であり、宮町新家とも呼ばれた。
1930年(昭和5)の町名改正で西本町7・8丁目となったのがほぼ近世の出屋敷である。1905年(明治38)には阪神電鉄の出屋敷駅が開発され、大正年間にやや西の現在地に移転した。戦後は闇市から出発して繁華街となった。