利昌工業争議
りしょうこうぎょうそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1955年(昭和30)4月から半年間の長期にわたって利昌工業で起こった争議。利昌工業では会社側の人員整理に反対して、4月16日129人で労組が結成された。労組は、人員整理反対とあわせて賃上げ、夏季一時金を要求して同23日24時間ストに突入し、その後5月まで3波にわたる24時間ストを決行して解雇撤回を迫った。闘争が長期化する中で、労使双方は地労委へ斡旋を申請したが不調に終った。6月23日、労使はベア配分や夏季手当・公傷問題などで数次の団交をもったが、結論は出なかったため労組は7月13日時限・部分ストを行なった。これに会社側は指名解雇を含む人員整理で対抗した。他方、7月21日塚口工場・大阪営業所で第2組合が結成され、組合内部に動揺が広がった。同27日、組合は無期限ストに突入したが、会社側はロックアウトで対抗した。この間、県総評は共闘会議を組織しスト支援態勢をとった。結局10月17日地労委が、希望退職者30人の募集、希望退職完了後労使間で再建を協議することなどを骨子とする斡旋案を労使双方に提示したことにより、争議は最終的に妥結した。
参考文献
- 『兵庫県総評二〇年史』 1978 総評兵庫県地方評議会