加島屋久右衛門
かじまやきゅうえもん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
大坂の米仲買商・両替商。江戸時代には鴻池・三井と並び称された富商。1625年(寛永2)東難波村広岡家から西成郡加島村に分家した林右衛門正教を祖とする。分家後も加島屋の跡取りに男子がいない場合は東難波村の広岡宗家から男子が養子に入った。1700年前後(元禄~正徳のころ)に4代目久右衛門として養子に入った正喜は中興の主人といわれ、1731年(享保16)堂島の米仲買株を許されて加島屋隆盛の基礎を築いたという。この大阪の広岡家が加島銀行をおこし、尼崎紡績の初代社長を出した。
広岡家当主は代々久右衛門を襲名している。第8代久右衛門正饒の次男である広岡信五郎(尼崎紡績初代社長)が加島銀行の発起人となり、信五郎の弟である第9代久右衛門正秋が同行初代頭取となった。正秋は大同生命の初代社長も務めている。
参考文献
- 『尼崎志』第1篇 1930 尼崎市