加島銀行

かしまぎんこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1888年(明治21)大阪財界の広岡家が大阪土佐堀に合資会社として設立した銀行。同家の広岡信五郎が尼崎紡績の設立にも参画し、1889年尼崎紡績初代社長に就任している。同行設立時の資本金は10万円であったが、その後増資して1916年(大正5)には100万円となった。その翌年資本金500万円の株式会社となり、さらに1927年(昭和2)3,020万円に増資し大阪での中流の銀行に成長した。1901年尼崎旧城郭内に尼崎出張所(のち支店)を開設している。金融恐慌で経営困難となり、1929年5月野村銀行・山口銀行・鴻池銀行に分割してその業務を譲渡した。尼崎支店は野村銀行尼崎支店となり同年5月10日継承設置、13日開業。同時に千舟出張所も引き継がれたが、尼崎支店に併合され5月11日に廃止された。尼崎支店は戦災で昭和通3丁目に移転したが、1978年7月廃止された。なお野村銀行は1948年10月に大和銀行と改称した。

執筆者: 山崎隆三

  広岡家は屋号を加島屋と称し、先祖は現尼崎市域の東難波出身であった。同家当主は代々久右衛門を襲名しており、第8代久右衛門正饒の次男である広岡信五郎(尼崎紡績初代社長)が加島銀行の発起人となり、信五郎の弟である第9代久右衛門正秋が初代頭取となった。正秋は大同生命の初代社長も務めている。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『大和銀行四十年史』 1958
  • 『大和銀行六十年史』 1979
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