助郷
すけごう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
江戸時代に宿駅の補充・保護のため宿駅近隣の村々に幕府が課した夫役・または夫役を課した村をさす。幕府指定の宿駅では、1770年(明和7)に指定された西宮駅の助郷村33村のうち、また1783年(天明3)に指定された西宮駅の加助郷村69村のうち市域の村々が含まれ、人馬や人足賃銀を徴集された。尼崎藩が設けた尼崎(別所)駅・神崎駅の場合、幕末期まで藩が駅所近隣の藩領村々から助人足を出していたが、公用人馬が急増したため、1864年(元治元)の第1次長州征伐時になってようやく川辺・豊島〔てしま〕郡50村からの御用物継立加助人足を幕府が指定した。慶応年間(1865~1868)になると1宿駅に特定の助郷・加助郷村指定のたてまえがくずれ、1村に神崎・尼崎・昆陽駅と複数宿駅の負担が課され、さらに東海道土山宿(現滋賀県甲賀市土山町)など遠方の宿駅の加助郷まで課された例がある。