区長制

くちょうせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  兵庫県(第2次)で1872年(明治5)五〇区制が実施されたとき、区内の戸籍編製の責任者として各区に戸長が置かれたが、同年6月町村の庄屋が戸長と改称されたので、これと区別するため年番戸長、つづいて区長と改称した。さらに同年8月五〇区制は一九区制に改編され、各区に区長が置かれた。この区長はかなり広い区域を統轄し、県と町村との中間にある下部行政機関という性格のもので、戸長から独立した行政官として形式上は村々から選挙で選出されるたてまえであったが、事実上は官選であった。区には区会が設置されたことと関連して、区長の事務取扱所は会議所、議事所、事務所、区務所などと称された。郡区町村編制法の施行にともなう一九区制の廃止とともに、区長制も消滅した。

  これとは別に、1926年(大正15)には、市域が25区に分けられ、市制第82条にもとづく区長が任命された。

執筆者: 山崎隆三

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