吉田吉太郎

よしだよしたろう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1900年(明治33)9月25日 - 1968年(昭和43)1月22日

  政治家としては「よしたろう」と称したが、家族内の呼び名は「きちたろう」であったと言う。大阪府に生まれ、1924年(大正13)関西大学法律科卒業、大阪市役所勤務ののち映画興業や不動産業を経営。尼崎市議員(19401947年)・兵庫県会議員(19471948年)を務めたのち、1949年(昭和24)の第24回総選挙で兵庫2区から立候補して当選、1952年まで衆議院議員1期を務めた。この間、尼崎市内電話の大阪局への編入(1954年)などに尽力したと言われている。民主党系の後藤悦治に対して尼崎の民主自由党の中心人物であった。阪本勝市長の知事選出馬にともなう1954年の市長選に立候補したが、薄井一哉に破れた。

執筆者: 地域研究史料館

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