向島病院

むこうじまびょういん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  横浜電線製造岸本商店尼崎製釘所・日本製樽・古河合名尼崎煉銅工場・大阪亜鉛鉱業の5社が共同して向島(現東向島西之町)の横浜電線製造敷地の一角に設置し、1913年(大正2)8月開院した病院。中馬興丸が院長として経営にあたった。1913年1月の尼崎工業者共和会第1回総会での協議の結果、会員有志により設立されたもので、同会会員のうち契約工場の従業員・家族の治療を目的とし、通院治療は無料であった。労働者の福祉増進に貢献したユニークな設置形態の施設であったが、工場および労働者数の増加により各工場とも専任医師を置いて労働災害に対応するようになったことなどから、数年後中馬病院構内に移転し、同病院に吸収されたものと考えられる。

執筆者: 地域研究史料館

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