国県制
こっけんせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
国造が支配する国を上級組織とし、県主が支配する県を下級組織とする大和国家の地方行政制度を国県制とよんでいる。国県制は遅くとも7世紀の初めころには成立していたとされる。しかし国県制については、7世紀初頭から後半にいたるまでの史料に、国の下級組織としての県や、国造の下級官としての県主が全くみられないことから、その存在を否定する説がある。それによると、県主は3世紀後半から5世紀にいたる早い時期に大和国家の支配に組みこまれた豪族であり、国造は県主制の解体を前提として、大和国家による地方支配の再編成の課程で設置されたものであって、県と国とは前後の関係にあるとされる。いわゆる国県制の存在については、現在ではこれを否定する見解が有力であるが、それに代わって県を県主制から切り離してコオリとよみ、国造に下属する新しいタイプの行政体とみる説が出されている。
参考文献
- 篠川賢「国造と県主」『古代史研究の最前線』 1986 雄山閣出版