国立銀行設立計画
こくりつぎんこうせつりつけいかく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1876年(明治9)8月国立銀行条例の改正によって、金禄公債を主とする政府公債を資本金の8割に充当して国立銀行を設立することが認められ、1979年までに153行に達した。これは士族に下付された金禄公債と商人の資金とを合体して銀行資本を創出することをねらったものである。尼崎町でも両替商・大地主の本咲利平次ら3人の商人と小島廉平ら7人の士族が発起人となり、さらに100人の士族と7人の平民が同盟株主として連署して、1877年10月資本金10万円をもって国立銀行設立願書を提出した。しかし政府の国立銀行制限方針のため、資本金5万円に減額することを指示され、国立銀行設立はついに実現せず、尼崎での近代的金融機関はのちの尼崎銀行の設立にまたねばならなかった。