国道43号
こくどう43ごう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
神戸市灘区岩屋南町-大阪市港区市岡元町を結ぶ約26km余・幅員50m8車線(当初は10車線)の国道。昭和初めにつくられていた阪神国道(国道2号)は、阪神間の臨海部からはなれた所を通過していたため、戦前の都市計画で、阪神電鉄以南地区に新たに浜手幹線が計画された。戦後その路線計画が修正されて浜手幹線計画と呼ばれ、着工時には第二阪神国道と呼ばれたが、市民は50m道路と呼んでいた。1959年(昭和34)に国道43号に指定された。尼崎では、この道路予定地域のうち、3分の2が非戦災地域だったため、区画整理が難航した。路線決定にあたって、南竹谷町では地域住民による反対運動も起こった。道路工事は国の直轄工事として、1957年に始まった。予定より遅れて、6年後の1963年1月6日兵庫県下のうち18.2km開通。大阪までの全線開通は1970年3月13日。
この43号は、阪神間を貫く経済大動脈となったが、その開通はその後の尼崎に大きな影響を与えた。1つは、本町通商店街をはじめ城内地区周辺の歴史的町並みを完全に破壊し、南部臨海部と北部の商業・住宅地域とを分断したこと。2つは、自動車の増大による、排気ガス・騒音・振動などの道路公害の激化。もともと大工場の煙による大気汚染がひどかった地域に道路公害が加わり、「二重の公害」で被害は深刻化、公害患者が増加した。
1994年(平成6)4月、阪神高速道路湾岸線の供用開始にともない、それまでの8車線を6車線(片側3車線)化する工事に着手、1998年(平成10)3月完成した。削減された車線部分には植樹帯や遮音壁が設置された。
参考文献
- 建設省近畿地方建設局阪神国道工事事務所『第二阪神国道工事誌』 1975