国道43号線道路公害訴訟
(国道43号線道路公害裁判より転送)
1976年(昭和51)8月30日、尼崎・西宮・芦屋・神戸市の国道43号とその上の阪神高速大阪西宮線の沿道住民が、国と阪神高速道路公団に対して、騒音・排ガスが一定値以下になるまでの道路供用差し止めと、過去から将来までの損害賠償を求めて提訴した訴訟。この訴訟は、1972年8月3日に始まる43号線公害対策尼崎連合会による長期すわりこみ闘争の延長線上にあり、全国の道路公害反対住民運動の注目の的となった。1986年7月17日、神戸地裁判決は車道端から20m内の居住者への損害賠償を認容。1992年(平成4)2月20日、大阪高裁の控訴審判決は騒音被害については車道端からの距離に関係なく損害賠償を認めるなど、一審判決よりも住民側に有利であった。1995年7月7日、最高裁によりこの判決が確定された。排ガスによる健康被害は認められなかったものの、生活妨害について国など道路管理者の責任を認め、以後の道路行政に大きな影響を持つものと予想される。
1992年(平成4)の大阪高等裁判所控訴審判決後、同年12月25日、国道43号線道路公害訴訟原告をはじめとする申立人218人が、国と阪神高速道路公団を相手として兵庫県公害審査会に公害紛争調停の申し立てを行なった。国道43号・阪神高速の騒音・振動・排気ガス差し止めと損害賠償を求めるもので、裁判の被告である国・公団が高裁判決に従わず上告し、道路公害の抜本的解決策をとらないことに対して、具体的対策を求める場を設けることを意図したものであった。1995年の最高裁による原告・被告双方の上告棄却により大阪高裁控訴審判決が確定したのちも、調停の審理において進展がなかったため、1996年10月28日、第1次訴訟の勝訴確定原告及び同居家族計83人を原告とする第2次訴訟が神戸地方裁判所に提訴された。大阪高裁控訴審判決の賠償額基準にもとづき、同判決が認定した期間(控訴審最終口頭弁論期日)以降の損害賠償を求めるものであった。第2次訴訟は、神戸地裁からの和解勧告により1998年3月4日、原告及び公害紛争調停申立人全員について訴訟での損害賠償請求金額を上回る条件の和解が成立し、同時に国・道路公団と訴訟原告・調停申立人が継続的に話し合いの場を持つ「国道43号・阪神高速道路沿道環境に関する連絡会」が設置された。この結果、公害紛争調停の申し立ては取り下げられることになった。その後、沿線環境が一定程度改善されたとして、2012年に開かれた第15回をもって「連絡会」は終了した。
参考文献
- 麻生節子『コスモスの甦る日まで』 1981 夏の書房
- 43号線道路裁判弁護団/43号線道路裁判原告団『いつの日か、花の道-国道43号線道路裁判と運動の記録-』 2001 アクスパブリケーション