国領巳三郎

こくりょうみさぶろう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1905年(明治38)12月30日 - 1942年(昭和17)3月18日

  京都市上京区下長者町七本松西入ル鳳瑞町に生まれた。共産党の指導者国領五一郎の弟、小学校卒。兄五一郎や辻井民之助の影響で社会運動に目覚めた。1925年(大正14)、久保田鉄工所尼崎工場に鋳物工として入所、1926年の総同盟第2次分裂では姉の夫藤岡文六率いる組合同盟に属した。この分裂騒動で同年12月6日日本労農党仮本部(尼崎)で協議中総同盟尼崎連合会の組合員に襲われ、棚橋小虎とともに負傷した。1927年(昭和2)4月下旬春日庄次郎の勧誘で日本共産党に入党、兄および村山藤四郎の指導で組合同盟傘下の関西合同労働組合争議部長兼財政部長となり、共産党フラクションで指導権を握って、1927年5月の乾鉄線争議などを指導した。しかし争議直前久保田鉄工所を馘首され、組合同盟からも追われ、3.15事件で検挙、起訴され、第1審で懲役6年、2審で5年を科された。1932年仮出所後は教誨師の紹介で和歌山刑務所服役の女性と結婚し、尼崎市で洋服店を営んだが病没。

執筆者: 久保在久

参考文献

  • 高田鑛造『一粒の種』 1991 大阪労働運動史研究会
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