頼殷〔よりたか〕(頼基系)が大坂城代であった1692年(元禄5)、清水・田中、上食満・中食満・善法寺・潮江の一部が所領となり、1712年(正徳2)まで続いた。1730年(享保15)頼稔が大坂城代となったとき、清水・田中・小中島、善法寺・潮江の一部が所領となり、1742年(寛保2)まで領有された。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 領主・支配(近世)