地主会
じぬしかい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
米穀検査制度の普及とともに米の品質・調整・容量・俵装などについての合格・不合格をめぐって、地主と小作人の利害が対立する場合が多くなった。そこで地主は結束して小作人に対抗する必要から地主会を結成した。武庫郡はすでに1904年(明治37)各町村に地主会を設立するよう指示しているが、川辺郡も1907年米穀改良組合規約準則と地主会会則準則を布達し、地主会の設立を促した。市域で確認できるのは、1905年までに成立した久々知村地主同盟会をはじめ潮江・長洲・東難波・猪名寺の地主会であるが、その他にも存在したはずである。原則として1町歩以上の小作地を有する地主で組織され、小作料・奨励米の協定、小作料不納・小作地返還にたいする対策が中心であったが、小作米品評会・小作人表彰なども行なった。