地価修正
ちかしゅうせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
地租改正で確定した地価にたいしてなお農民から軽減要求がつづいたので、政府は1889年(明治22)8月田畑地価特別修正法を公布し全国的に地価修正を実施した。このときの地価低減率は武庫郡で約11.3%、川辺郡で約14.1%であった。しかし西日本では地租改正時に高地価に決定した根拠である綿作など有利な作物が衰退していたので特に修正の要求が強く、兵庫県では1891年6月地価修正請願同盟組合が結成され、県下各郡から代表が上京するなど全県的に運動が拡大した。そこで政府は1899年非常特別税法による地租率の引き上げと抱き合わせで、主として西日本に平均15%の地価減額修正を実施した。このとき武庫郡で田20.1%畑19.8%、川辺郡で田19.0%畑17.7%の地価引き下げが実現したが、同時に地租率が地価の2.5%から3.3%へと32%引上げられたので、地価修正による農民の負担軽減は地租増徴による負担増を緩和する程度に終った。