塚口城

つかぐちじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  戦国時代の史料にみえる城。塚口は、伊丹から神崎に至る伊丹街道(有馬道)の重要な通過地で中世では在郷町。塚口御坊と称された浄土真宗興正寺別院の寺内町として栄えた。1578年(天正6)荒木村重と織田信長との合戦のとき、「塚口は伊丹より尼ヶ崎までの道筋ゆえ、荒木村重塚口を出城に構えられ候…」(興正寺塚口別院由緒/立花志稿)と、この寺内町に前線基地を築いた。寺内町の周囲には土塁が巡り濠があった。土塁は高さ2間半、延長531間、堀幅は2~3間。同年12月11日の荒木攻めでは信長の軍勢の一部は塚口郷に進駐し、伊丹城の出城をU字形に囲む戦法をとったことで知られる。

執筆者: 田中勇

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