塚口御坊
つかぐちごぼう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1409年(応永16)に性曇上人が建立した浄土真宗寺院。尼崎地方の一向一揆の中心的役割を担った御坊。「興正寺塚口別院由緒」(立花志稿)によると、興正派の有力御坊は42坊あり、1468年(応仁2)の細川勝元と山名持豊の戦いでは、広根村(川辺郡猪名川町)最徳寺、多田村(川西市)光遍寺、箕輪村(豊中市)超光寺の3か寺が摂津国三門と称し、とくに別院として塚口御坊を警護した。同坊は、川辺郡・豊島〔てしま〕郡・能勢郡の末寺や道場を組織する一向一揆の中心となっていたのである。この塚口御坊には寺内町が形成され、町の周囲にかつて築かれていた土塁と周濠の一部が現存し、当時の面影がうかがえる。戦国時代の確かな末寺数は明らかでない。