田中村ほか16か村の大井組が利用した猪名川水系の用水路。1589年(天正17)、三平井の下手、猪名川と藻川の分岐点から少し下流の藻川西岸、猪名寺領の堤に取樋口を築造。それまでの土砂による簡単な井堰ではなく、増田長盛の裁断によって本堰がつくられた。取樋口から南下した井溝は、上食満字八躰堂で東川と西川に分岐。東川筋は田中・瓦宮・若王寺・小中島(以上園田地区)、下坂部・次屋・浜・西川・常光寺・今福(以上小田地区)へと流れ、西川筋は久々知・潮江・東長洲・中長洲・西長洲・金楽寺および東難波の庄下川の以東の地(以上小田地区)へと流れた。
執筆者: 山下幸子