大島井組
おおしまゆぐみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
大島井を利用する井組。旧大島荘4か村(今北・東大島・西大島・西新田)と旧浜田荘2か村(浜田・東新田)の計6か村で組織されていた。1580~1583年(天正8~11)ころ大島荘4か村の用水として出発したが、江戸時代初期には旧浜田荘2か村を井子として加え、井組が成立。井組成立間もない1671年(寛文11)、大島井組と守部村との争論の訴状などは旧大島荘4か村名義となっているが、訴訟費用は井子村2か村も負担している。大島井路は西武庫・守部村地内を通り、今北村字二ツ俣で分流する。1筋は南へ流れ裏川筋と合流して、今北・西大島・西新田の上3か村の田地へ向かう。本流は南東に流れて今北地内の三十六〔みとろく〕・平田〔ひらた〕・塩辺〔しおなべ〕の樋から今北村の一部の田地を養い、また今北地内久保平田の樋で分かれた流れは、東大島・浜田・東新田の下3か村の田地を養った。浜田村は、ほかに浜田川(幣川)の水を用水としていた。