1598年(慶長3)光義は摂津国ほか2国において1万1,200石を豊臣秀吉から宛行なわれた。市域では椎堂・富田の一部が知行所となったが、1637年(寛永14)義豊〔よしとよ〕の死により絶家した。のち義豊の遺領は、一時期叔父義唯〔よしただ〕の預り地となった。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 領主・支配(近世)