大庄村
おおしょうむら
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1889年(明治22)4月の町村制施行によって、当時西新田組戸長役場管轄区域(今北・東大島・西大島・浜田・東新田・西新田・道意新田・中浜新田・又兵衛新田の9か村)がそのまま大庄村となった。人口3,370人(1889年末)、村役場は西新田の旧戸長役場におかれた。当初は農業・漁業を主な生業とする地域であったが、1910年日本リーバ・ブラザーズ石鹸工場が、また1917年(大正6)乾鉄線などの工場が建設され、さらに1930年(昭和5)以降尼崎築港会社により同村南部地先に大規模な臨海工業地の埋め立てがすすみ、鉄鋼・電力を中心とする重化学工業地帯となった。それとともに人口も増加し、1942年2月11日の尼崎市との合併のさいには、4万8,200人と激増していた。
なお、1937年に東字開キ(現大庄西町3丁目)に新築された大庄村役場(1969年から2019年3月末まで大庄公民館、2019年4月以降は大庄南生涯学習プラザ)は、建築家の村野藤吾が最初に手がけた庁舎建築であり、代表作のひとつとして知られている。
旧大庄村役場は、2003年登録有形文化財に登録され、2010年には兵庫県の景観形成重要建造物等に指定された。
参考文献
- 『大庄村誌』 1942 大庄村教育調査会
- 『写真でつづる近代大庄のあゆみ』 1988 尼崎市社会福祉協議会大庄支部出版委員会