大戦景気

たいせんけいき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1914年(大正3)7月第1次大戦が勃発した直後は戦争の見通しが不透明であったので物価・株価は下落し、戦前の不況はいっそう深刻になったが、翌年後半から交戦国からの軍需品の注文の殺到と他方交戦国の輸出能力の低下から世界各地への日本の輸出の拡大と日本での輸入代替産業の発展が促進され、さらに世界的な船腹不足から海運業が活況となり、未曽有の景気高揚となり、工場の拡張・新設があいついだ。これが大戦景気である。尼崎では、尼崎紡績大阪合同紡績は新工場を建設して生産・輸出が伸び6割以上の配当率を持続した。旭硝子は窓ガラスの輸入途絶で大活況となり、輸入に依存していた耐火煉瓦の自給工場を尼崎に急設した。その他富士製紙横浜電線製造岸本商店尼崎製釘所関西鉄工なども大きい利益をあげ将来の発展の基礎をきずいた。またこの時期に新設された工場は多く、主要なものには古河電気工業電池製作所・キリンビール神崎工場などがある。この景気は大戦終結後も1年余り持続したが、1920年4月の反動恐慌によって終止符がうたれた。

執筆者: 山崎隆三

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