大政翼賛会
官製的な国民運動組織。1940年(昭和15)10月12日総裁に首相、県支部長に知事がなって発足、1941年2月10日に市支部長に市長の有吉實が委嘱され、5月1日に委嘱の市支部役員には、常務委員13人のほか県議(旧民政党)六島誠之助・元市長上村盛治・元小田村長太田照・尼崎商工会議所会頭(朝日麦酒社長)佐古田政太郎と並んで尼崎警察署長が顧問に就き、また参与5人には県議(無所属)後藤悦治・同(元社大党)山下栄二も含まれていた。市支部協力会議と銘打って別に市常会が3月25日の市告示で設置、協議員46人には会長の有吉のほか町内会連合会会長10人、市会議員12人、商工会議所会頭・尼崎警察署長と並んで、青少年団・愛国婦人会・国防婦人会・在郷軍人会・警防団の代表・学校長らが選任され、4月26日の初会合以後、月1回開催された。市常会、市支部役員会が尼崎警察署長との協議にもとづき、推進員に各町内会1人ずつの地域168人、職域117人を総裁に推薦、12月18日の講習会後、貴布禰神社(西本町)まで街頭行進して宣誓式を挙行し推進員指名書が手交された。翌19日に尼崎市必勝国民大会を商工会議所・産業報国会と共催、2万数千人が参加した。1942年2月の三村合併にともなう新市域で18町内会連合会、287町内会、7,000隣保の下部組織がおかれた。4月1日には銃後奉公会・衛生組合も町内会に統合された。市翼賛壮年団も1942年4月2日に結成、団長には大政翼賛会常務委員でもある在郷軍人会市南部連合会分会長・陸軍中佐白潟亀市、団員2,549人は町内会連合会ごとの18分団、町内会ごとの各班に組織され、大政翼賛会の活性化をはかった。月刊『隣保時報』の回覧、『常会の誓』『決戦生活五訓』の全世帯配布、翼賛選挙の投票済門標掲示・ヒマの栽培献納・防空演習・物資配給など市政の補助機能を果たした。1945年6月に国民義勇隊に改編された。