大日本国防婦人会尼崎支部

だいにほんこくぼうふじんかいあまがさきしぶ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  大日本国防婦人会は、軍事援護事業や婦人の精神教化等を目的として、1932年(昭和7)10月に結成された。尼崎市では1933年9月10日尼崎高等女学校で支部発会式を行ない、小学校区単位の4分会、2,571名、工場2分会、875名、計3,446名(1933年末現在)を組織した。また各村の婦人会会員数は大庄村311名、武庫村765名、立花村2,655名(以上1941年現在)、園田村2,943名(1942年現在)となっている。

  1942年2月、愛国婦人会・大日本連合婦人会とともに大日本婦人会へ統合されることが決定され、尼崎市でも3月18日杭瀬国民学校で三団体を統合して大日本婦人会尼崎市支部が結成された。各町内会連合会単位の連合班18と町内会単位の班・組、職域単位の特殊連合班を組織し、有資格婦人全員の入会を目指して会員6万人以上を組織した。慰問や兵士の送迎、慰霊祭、防空思想の普及や献納・貯蓄運動などを行なった。1945年6月国民義勇隊に統合解消された。

執筆者: 地域研究史料館

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