1921年
(大正10年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 |
周辺の年: | 1918年 1919年 1920年 1921年 1922年 1923年 1924年 |
大正10年
- 2月24日 - 田能村の小作人50人は小作料の減額を求めて地主との交渉に入った。
- 2月28日 - 東亜セメントの職工が15パーセント賃下げと労働時間延長に反対してストを決議した。
- 3月3日 - 東亜セメントの労働者は、杭瀬の墓地で西尾末広・藤岡文六らの指導下に友愛会尼崎支部の再建発会式を行なった。
- 3月6日 - 東亜セメント争議における会社側の全員解雇方針に対して、労働者側が交渉した結果、解雇161人、解雇手当獲得などの条件で妥結した。
- 3月10日 - 森永製菓塚口工場(ビスケット工場)が落成した。
- 4月1日 - 尼崎市立通俗図書館が尼崎市立図書館と改称した。
- 5月25日 - 住友伸銅所尼崎工場で人員整理への不満から怠業が始まり、請負制度改善の嘆願書が提出された。この騒ぎが6月の同社大阪本工場・製鋼所・電線製造所の大争議へと波及した。
- 6月6日 - 尼崎信用組合が尼崎市と小田村・大庄村を区域として営業を開始した。
- 6月28日 - 阪神電鉄東浜発電所が操業を開始した。
- 6月30日 - 団体交渉権確認、解雇手当その他7項目の要求を掲げるリーバ・ブラザーズ争議が始まった。
- 6月 - 大日本木管と日本スピンドル製造の労働者130人が尼崎木管工組合を結成し、友愛会大阪連合会に加盟した。
- 7月1日 - 市営住宅6戸が落成し貸付けを開始した。
- 7月2日 - 労働者自治による日本友禅株式会社の工場が小中島に開業した。
- 7月6日 - 久保田鉄工所の職工約400人が、横断組合と団体交渉権の承認など10か条を要求して怠業に入った(久保田鉄工所争議)。
- 7月13日 - リーバ・ブラザーズ争議が横断組合の団体交渉権確認、賃下げをともなわない時短などを勝ち取り妥結した。記録に残る尼崎初の団体(労働委員会)制度の確立と考えられている。
- 7月15日 - 久保田鉄工所争議が工場委員会設置などの条件で妥結した。
- 7月21日 - 久保田鉄工所争議が再燃し、400人が再びストに突入した。
- 8月6日 - 大日本木管争議で、会社が職工235人を解雇したのに対して労働者側は全員の無条件復職と工場委員会制度を認めさせた。
- 8月25日 - 住友伸銅所尼崎工場で工場委員選挙を実施した。
- 9月1日 - 尼崎託児所が尼崎婦人会の奉仕事業として開設された。
- 9月15日 - 友愛会の尼崎第1~4支部と武庫川支部が合同して友愛会尼崎合同組合と改称した。
- 9月30日 - 阪急電鉄が猪名川水力電気を合併し、武庫村・立花村への電気供給を開始した。
- 11月30日 - 武庫郡教育会が『武庫郡誌』を刊行した。
- この年 - 摂池銀行が塚口に支店を設置した。