1891年(明治24)7月開通した川辺馬車鉄道の尼崎停車場と長洲停車場との中間に設けられた停車場。1893年馬車鉄道が摂津鉄道となったのちも存続し、1894年の乗客数2万2,319人から1897年には7万3,746人に増加した。しかし同年摂津鉄道が阪鶴鉄道に買収されたのちは不振となり、1900年には1万3,413人に激減した。尼崎-長洲(神崎)間は阪鶴鉄道では尼崎支線といわれたが、1901年同支線は旅客の取扱いを停止し、大物停車場は廃止となった。
執筆者: 山崎隆三
カテゴリ: 交通・通信(近代)