かつて旧尼崎町の宮町にあり、1959年(昭和34)三反田(現立花町2丁目)に移転した真言宗醍醐派の寺院。山号は旭光山。『尼崎志』は、足利義満の養子で幕府内に権勢をふるった醍醐寺三宝院座主・満済の弟子・龍意恵秀(1450年・宝徳2没)の開基としている。また同書によれば、醍醐寺派の修験道寺であると同時に、港湾に近いことから金比羅権現をも祭っていた。「明治12年寺院明細帳」(『地域史研究』第7巻第1号)には元和年間(1615~1624)行泉中興とあり、このとき近世尼崎城築城とともに建設された宮町に移されたものと考えられるが、『尼崎市史』は同寺に伝えられる歴代住職中に行泉の名は見られないとしている。
執筆者: 地域研究史料館