大谷重工業尼崎工場

おおたにじゅうこうぎょうあまがさきこうじょう
大谷製鉄より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1939年(昭和14)に設立された大谷製鉄に、1919年(大正8)設立の合資会社東京ロール製作所と大谷鉄鋼の2社が合併、翌1940年新発足したのが大谷重工業(株)である。尼崎工場はこれに先立って1934年東京ロール製作所によって西高洲町に建設され、1938年から電気炉によって粗鋼を年4,000~8,000トンと1,000トン余の鋳鋼品・厚板を生産していた。

  戦後、多くの産業が立ち直るきっかけとなったのは、1950年6月の朝鮮戦争であったが、尼崎工場もまたこのころを境に設備を増強し、生産は拡大に転じた。昭和30年代後半~40年代にかけての年産高は、粗鋼30万トン内外、圧延鋼材は厚板、小型棒鋼、大・中形形鋼を主体に約20数万トンであり、大谷重工全体の中で50~60%を占めるとともに、中堅電炉メーカーとして、市域鉄鋼生産に対しても4分の1弱の比重を持ち続けたのであった。しかしこの間に、高炉メーカーを中心に、転炉やストリップミルの採用などに見られる生産技術の革新が進み、電炉メーカー製品の品質・コスト両面での競争力は相対的に低下した。1968年4月大谷重工業は倒産、折しも富士製鉄との合併を公表した八幡製鉄(株)の資本参加を受け、傘下に入った。翌1969年から傘下企業数社一体での生産調整がはじまり、1976年にかけて尼崎工場の設備はつぎつぎに休止してゆき、1977年には八幡系列下にあった大阪製鋼(株)と合併、合同製鉄(株)として新発足した。尼崎工場は尼崎製造所と改称されたが、1979年大型形鋼の生産も中止、1980年3月工場は全面的に閉鎖された。

執筆者: 名和靖恭

参考文献

  • 名和靖恭「尼崎市域鉄鋼業の構造変化」『市研尼崎』第22号 1979 尼崎市政調査会

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