大輪田泊
おおわだとまり
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
現在の神戸市にあった碇泊地。輪田泊ともいう。奈良時代に僧行基のつくった五泊の一つとされる。この泊は、地理的条件から東方の風と波浪に弱く、石堤を築いて防ぐ必要があった。そのため、朝廷は造大輪田船瀬使などをおいて修理につとめたが、それも平安中期には廃絶した。平安末期に平清盛が、この泊に経ヶ島を築いて風浪を防ぎ、さらに大規模な築港工事に着手したが、源平争乱の勃発により中絶するにいたった。鎌倉初期に重源が、魚住泊(現明石市)・河尻一洲とともにこの泊の修築事業をおこなった。その後、この泊は港湾として繁栄するが、大輸田泊の名はすたれ、兵庫島・兵庫津などとよばれるようになった。
参考文献
- 『兵庫県史』第2巻 1975