大阪国際空港騒音公害訴訟

おおさかこくさいくうこうそうおんこうがいそしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1969年(昭和44)12月、大阪空港騒音にたまりかねた離陸側の兵庫県川西市の住民は、国を相手どって、夜9時から翌朝7時までの飛行差し止め、過去5年間の損害賠償と昼間騒音が65ホン以下になるまでの損害賠償を求めて提訴。1971年11月には着陸側の大阪府豊中市の住民も同様の内容で提訴。1974年2月大阪地裁は夜10時から翌朝7時まで、1975年11月大阪高裁は住民の請求どおり夜9時から翌朝7時までの飛行差し止めを認めるとともに、損害賠償を認容した(ただし、地裁判決は将来賠償請求を棄却)。国は上告したが、1976年7月までに高裁判決どおり夜間の航空機発着を取り止めた。1981年12月最高裁は、過去の損害賠償を認めたものの、飛行差し止めと将来賠償を却下した。その後、和解交渉が進められ、1984年3月、夜9時以降の飛行禁止は運輸省が11市協(空港周辺11市による大阪国際空港騒音対策協議会)に文書で約束し、賠償金は13億円とすることで和解が成立した。尼崎市もとくに北部が激しい騒音下にあり、1964年10月発足の8市協(1971年5月から11市協)に加わり、騒音実態調査、防止対策の促進に努力した。

執筆者: 小山仁示

参考文献

  • 大阪空港公害訴訟弁護団編『大阪空港公害裁判記録』1~6 1986 第一法規出版
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