1863年(文久3)尼崎藩は大高洲新田に砲台を築立てるために地鎮祭を行ない、正月から5・6月にかけて築造した。1864年(元治元)幕府の摂海防備計画が通達されて、尼崎藩の築いた砲台は実備に合わないと改造を命じられ、幕府より大砲と弾薬を支給する条件で、砲台を改めて築くことになった。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 領主・支配(近世)