天守閣
てんしゅかく
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
近世城郭の中心をなす建物で、多層多重、高い物見櫓となり、権威を象徴する。戦国時代後半に発展したと考えられ、織田信長の安土城天守(天主)が本格的な高層建築として建てられた最初のもの。尼崎城天守は四重四階建て、西側と南側に二重渡櫓を付属し、いわゆる複連結式の形態をとる。各重の規模は柱割で初重目10間×8間、二重目8間×6間、三重目7間×5間、四重目6間×4間と規則正しく逓減し、外観も二層目に唐破風、三層目に切妻破風で飾り、四面が同じ意匠を見せる。構造・形式ともに天守の最も発達した過渡期の手法をよく示すものであった。
参考文献
- 櫻井敏雄・松岡利郎「摂津尼崎城の建築」『地域史研究』第4巻第3号 1975