1780年代
(天明3年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
年表:
10年紀: 1750年代 1760年代 1770年代 - 1780年代 - 1790年代 1800年代 1810年代
各年: 1780年 1781年 1782年 1783年 1784年 1785年 1786年 1787年 1788年 1789年
1780年代の年表
- 1780年(安永9)
- 5月29日 - 尼崎藩は、岡村十左衛門名義古銀札の通用差止めおよび泉屋利兵衛銀札との引き替え開始を触れた。
- 9月 - 尼崎藩は、年貢米の精米に木臼の使用を禁じ古来のとおり唐臼を使うよう命じた。
- 1781年(天明元・安永10)
- 1782年(天明2)
- 1月23日 - 尼崎渡海船の船持ち・船乗たちは、大坂の上荷船・茶船仲間と今後7年間は尼崎船の米荷物についてのみ小廻り賃増額を認める証文を取りかわした。
- 9月 - 尼崎城下の町人によって開発された中浜新田の検地が行なわれ高50石が道意新田に高入れされた。
- 12月16日 - 綿の不作にさいして尼崎藩領の綿作農民が年貢減免を求めて武庫川堤に群集し、藩に直接嘆願しようと数百人が城下の出屋敷堤までつめかけた。
- 12月19日 - 尼崎藩は、先の騒擾に対して村々へ手宛米を支給すると発表し、大物組・時友組・富松組の地回り3大庄屋組に2,600俵、瓦林組に2490俵が下された。
- 12月 - 天満青物問屋は、額田村など北在村々が大坂への下屎取り船を利用して運ぶ大根を市場以外の店で売買することの停止を大坂町奉行所へ訴えた。
- 1783年(天明3)
- 1784年(天明4)
- 1785年(天明5)
- 1786年(天明6)
- 9月 - 幕府は酒造高を二分の一に制限した。
- 1787年(天明7)
- 5月13日 - 米価高騰により大坂で打ちこわしが発生し、伊丹でも打ちこわしの風聞があった。
- 1788年(天明8)
- 2月25日 - 武庫・川辺・豊島郡の161か村総代は、尼崎・西宮・兵庫などの干鰯屋以外の富裕商人による肥類売買禁止、干鰯屋その他の粕類買占め禁止、在方絞り油屋の菜種売買独占の禁止などを大坂町奉行所へ訴えた。
- 5月29日 - 洪水のため西新田村支配の武庫川堤が切れ、中浜新田に被害が出た。
- 6月12~16日 - 幕府の私領巡見使が尼崎藩領などを巡見した。
- 6月 - 尼崎藩は、米価高騰のため領内の町村ともに困窮し人口も減少しているとして、11か条の倹約令を触れた。
- この年 - 尼崎藩は在郷の商人名・業種を調べ、米小売仲買などの営業を禁じた。
- この年 - 尼崎城下の町人の人口は1万2,008人、家数は1,649軒であった。