出買人から生魚問屋に成長した商人。1724年(享保9)に中在家町5丁目浜に15軒あった出買人のうちの1軒。代々市兵衛を名乗り、生魚問屋の下働きや補助的な仕事をしてきたが、1810年(文化7)尼崎藩に願い出て、尼崎魚問屋仲間株20株が認められたころから、生魚問屋として名を表わした。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 人名(近世)