如来院

にょらいいん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  寺町にある珠光山遍照寺如来院と号する知恩院末の浄土宗の寺。円光大師(法然)二十五霊場第四番札所。当寺の「古縁起」によると、もと神崎釈迦堂と称し、1207年(建永2)法然が讃岐へ遠流のさい、神崎の5人の遊女を教化した遺跡で、そのため法然を当寺の開山と仰ぎ、のち神崎の洪水によって堂宇仏像を流失したが、新たに善光寺如来を模して本尊とし、如来院と称するに至った。1519年(永正16)2月細川高国が尼崎に城を構築し、翌年神崎にあった当寺を尼崎城下のほとり大物に移したとある。1569年(永禄12)、織田信長の尼崎焼打ちのさいも、当寺は長遠寺とともに災を免れたといわれる。近世尼崎城築城にともない元和年間(1615~1624)に大物から寺町に移転したと考えられる。1327年(嘉暦2)の供養碑、1425年(応永32)銘の梵鐘、尼崎藩学史上逸することのできない阪本順庵宣業等累代の墓、書を好くし草隷篆体に通じた武田子谿および算学・天文学に通じた枝山佐藤金次の墓などがある。なお、如来院は、当寺の古縁起とは別に、約100年余さかのぼる1411年(応永18)の大覚寺敷地目録および同年代ごろの同寺境内図にもその所在が記されている。これら二つの如来院については別個のものか、何らかの関係があるかを今にわかに断定することができない。

執筆者: 梅溪昇

  2003年(平成15)3月28日、如来院本堂・表門(附、棟札1枚、箱入)は尼崎市指定文化財に指定された。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『尼崎志』第1篇 1930 尼崎市
  • 「円光大師二十五霊場第四番札所 如来院略記」 1956 如来院

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