威奈真人大村
いなのまひとおおむら
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
? - 707年(慶雲4)4月24日
宣化天皇の皇子の火焔皇子を祖とする為奈(猪名)真人氏の出身。四天王寺所蔵の骨蔵器に大村の墓誌銘が刻まれている。それによると大村は宣化天皇三世の孫で、斉明天皇の代に紫冠を授けられた鏡公の第3子である。持統天皇の代の初めに務広肆の位を授けられ、文武天皇の代に少納言に任ぜられ、勤広肆に昇った。701年(大宝元)に従五位下に叙せられ、侍従を兼ねた。704年正月に従五位上に叙せられ、705年(慶雲2)左少弁、同年11月に越後城司に任ぜられた。707年2月に正五位下に叙せられたが、同年4月に越後で死んだ。時に年46であった。この年の11月に大倭国葛木下郡山君里狛井山岡に葬られた。また「続日本紀」には、703年10月、持統天皇の葬儀にさいして御葬副官に任ぜられ、706年閏正月に越後守に任ぜられたことがみえる。