学制

がくせい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1872年(明治5)8月明治政府が定めた近代的国民教育の最初の法制。学制は、全国を8大学区(翌年7大学区に改編)に分け、1大学区を32中学区に、1中学区を210小学区に区分し、各区に大学、中学、小学を設置するという構想であった。兵庫県(第2次)では摂津5郡の県域が1中学区(第23番中学区)とされたが、直ちに規程通りの210小学区を定めることは困難で、1873年末には161小学区が設立された。このとき市域では公立23校と1分校、ほかに私立有明学校(猪名寺)が開設された。当時の国民の実情から、学制を画一的な規定通りに実施することは困難であったので、1879年9月に学制は廃止され、あらたに教育令が公布された。

執筆者: 山崎隆三

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