守部井を利用する井組は守部村1村であったと思われるが、知るべき史料がない。1670年(寛文10)守部村が大島井溝のそばに新規の溝や溜め池を掘り大島井組と争いとなり、翌1671年にも大島井溝を切り崩して守部村の井筋に水を取り込んだため大島4か村が訴え出た。このときの訴状には守部村とあり、井組とは記されていない。1718年(享保3)の水堂・武庫両井組の争論裁許状(常吉部落有文書)のうちに「守部井筋村々…」の文言がみえるが、このときを井組結成とするのは早計であろう。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 水利(近世)