安養寺

あんようじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  神戸市中央区の大倉山にある浄土宗の寺で、尼崎藩主青山氏の尼崎2代目青山幸利(成覚院)と3代目青山幸督(泰源院)を葬る。幸利は生前から、藩領である八部〔やたべ〕郡坂本村、すなわち大倉山の景色を好み、自分の没後はこの山上に墳を築き、山麓に僧坊を営むよう侍臣に語っていた。1684年(貞享元)8月、幸利が没すると、遺言通りその遺骸を大倉山に葬り、1686年にはその菩提寺として、尼崎城下大物にあった如来院末寺安養寺を坂本村の廟所の傍らに移し、かつ幸督から同寺に対し成覚院の霊供料として高50石(寺領)を寄付した。明治になって寺地が大倉山公園用地となったさい買収され、その麓下に移転した。1892年(明治25)には、如来院末寺を脱して知恩院直末となった。当寺史料としては、幸督の寺領寄進状とそのとき作成の安養寺領図(171×132cm)等が残っている。

執筆者: 梅溪昇

参考文献

  • 『尼崎志』第1篇 1930 尼崎市
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