室町幕府奉行人
むろまちばくふぶぎょうにん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
室町幕府の法曹官僚を指す呼称。右筆方〔ゆうひつかた〕・寄人〔よりうど〕などともいう。政所〔まんどころ〕・侍所〔さむらいどころ〕など幕府の諸機関の下に配属され、事務官僚としての機能を果たしたが、一方で御前奉行〔ごぜんぶぎょう〕(恩賞方)と呼ばれる将軍臨席下の法廷を構成し、判事として裁判業務にも携わった。諸機関に配属された場合は、上首(事務次官)を開闔〔かいこう〕、その他を寄人といい、御前奉行に軍属する場合は右筆方と呼ばれた。その身分は六波羅探題の奉行人や雑訴決断所の寄人の系譜を引き、評定衆より家格は低く、飯尾〔いいのお〕・松田・斎藤・清〔せい〕等数家に固定され、家職としておおむね世襲された。彼等が連署して発給する幕府裁判の裁許状または行政命令は奉行人奉書と呼ばれ、市域関係では1478年(文明10)に春日社領武庫・富松〔とまつ〕・浜郷の諸村打渡〔うちわた〕しが、1505年(永正2)には尼崎東禅なる人物に狼藉を働いた加島荘の五郎右衛門男の処罰が、1508年には天龍寺領杭瀬荘の打渡しがそれぞれ命じられている。
参考文献
- 今谷明『室町幕府解体過程の研究』 1985 岩波書店