近世初期に身売りまたは「進じ申す」形で生まれた譜代の家内下人が、その後、主家から住まいを与えられたのが家持下人である。1659年(万治2)の武庫郡上瓦林村の例では、家持下人とその家族が村人口の10%を占めていた。その後漸減するが、彼らは1660~1670年(寛文・延宝期)ころまでは、主家の手作経営に賦役労働を出す譜代関係にあったとみられる。しかし17世紀末(元禄期)ころからは、売買によらず、下人養子の形で家持下人が生まれるようになって、主家の経営に賦役を勤めることはほとんどなくなった。そして小作をしたり、月に何日廻りといった契約で主家から給銀をもらって働く関係になった。
執筆者: 八木哲浩
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