家禄奉還
かろくほうかん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
維新政府は1873年(明治6)12月に布告した家禄奉還規則によって、希望する士族にたいして世襲家禄は6年分(一代限りの家禄は4年分)に相当する金額を、半分は現金で、残りを8分利付公債(秩禄公債)で交付することによって家禄の解消をすすめようとした。これは士族が農工商業に転ずるための資金を与えるという名目で行なわれたので、「仰資奉還」ともいわれる。尼崎藩では、この奉還規則交付後これに応じて奉還するものが続出し、1879年6月現在で士族総数681戸のうち全額奉還したものが440戸と3分の2に達している。(その他に家禄の一部のみを奉還した「割奉還」もあったと思われる)。これには同時に創設された家禄税が、たとえば家禄100石にたいして12.9石というような累進的高率で課せられたことが促進的役割を果たしたと考えられる。奉還士族の割合は、全国的に4分の1程度であったのにたいして尼崎藩では約65%と異常に多く、尼崎藩士の当時の緊迫状態をよく示している。またこれによって得た資金で事業を起こしたものも、一部をのぞいて多くは失敗した。