富松井
とまつゆ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
野間井ともいう。野間(現伊丹市)・友行など富松井組7か村が利用する武庫川水系の用水路。永禄(1558~1570)の後半年のころ、武庫川東岸の西昆陽地内に取樋口が設けられたと推定される。同じころ、向かい合った武庫川西岸田近野に百間樋の取樋口が設けられ、武庫川の水をめぐって富松井組との争論が生じたが、1611年(慶長16)百間樋4分・富松井6分の分水が定まった。天正年間(1573~1592)の武庫川洪水ののち時友村が加わり、さらに元和~正保年間(1615~1648)には井末の武庫庄・東富松・西富松・塚口の4か村の加わって利用した。7か村以外にも利用した主要な井路としては、友行村の字若宮・八幡付近で分岐し、生津村田地を養っていた貝原溝がある。