富松城

とまつじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  戦国時代の城館。初見は1487年(長享2)正月の史料で、富松城の縄竹代100文とある(大徳寺文書/大日本古文書)。この城は伊丹城の支城ともいわれるが、平地の邸城で、土塁を築き堀を巡らしたもの。土豪の屋敷を転用したものと推定される。この地は川辺郡と武庫郡との郡界であり、塚口から武庫庄守部を経る街道に位置する交通の要所に当たっている。1549年(天文18)以降東富松城とも称されるが、城主として長期間在住する武将は見あたらない。1530年(享禄3)の細川晴元方薬師寺国盛は川辺郡小守護代格として経営に努めたと思われる。戦略上の拠点として、特定の人物に支配させることを避けた結果であろう。

執筆者: 田中勇

参考文献

  • 仁木宏「戦国富松都市論-尼崎富松城・富松集落の研究」『地域史研究』第33巻第1号 2003

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