富松荘

とまつのしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  平安時代から戦国時代にあった荘園。富松郷とも呼ばれた。1157年(保元2)3月25日付太政官符(兵範記/増補史料大成)に故左大臣藤原頼長の摂津国所領5か所のうちの1荘として記されたのが初見。摂関家領として藤原氏の氏の長者へ伝領されていたが、鎌倉時代以降は九条家・近衛家、三条西家などの閑院流庶子家各流へと分割されている。近衛家領(富松御位田)と三条西家領は西富松を中心に、九条家領は東富松に分かれていた。「実隆公記」によれば1528年(大永8)までの約40年間、季節ごとの節会に当荘から貢納物が京都へ進上されている。正月の若菜、端午の節句の粽〔ちまき〕、七夕の素麺などであった。また、西富松には西園寺家領があり、その家領は川辺郡に属していた。

執筆者: 田中勇

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