1740年代

寛延元年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 17世紀 - 18世紀 - 19世紀

  10年紀: 1710年代 1720年代 1730年代 - 1740年代 - 1750年代 1760年代 1770年代

  各年: 1740年 1741年 1742年 1743年 1744年 1745年 1746年 1747年 1748年 1749年


  1740年から1749年までの10年間を指す。

1740年代の年表

  • 1740年(元文5)
    • 5月 - 摂津国村々は、干鰯値段の高騰にさいして大坂市中干鰯問屋・仲買の新組・古組による干鰯買取りのせり合い停止を大坂町奉行所に訴えた。
    • 6月9日 - 洪水のため上食満村・田能村ほかで猪名川藻川の堤が切れ、尼崎城下近くまで水が及んだ。
    • 6月 - 三ツ又井組椎堂村など6か村は、田能村が古例となっている一村一夜の番水を防げたとして奉行所へ訴えた。
    • 7月20日 - 瓦林組は、洪水後の武庫川堤破損箇所の水留め普請に他組の助人足繰り出しを尼崎藩に願った。
    • 11月 - 尼崎藩領の32か村が、尼崎城下の下屎くみ取りについて、藩領村々以外には今後くみ取らせないこと、城下屎問屋2人の新規の企てを停止してほしいと藩に願い出た。
  • 1742年(寛保2)
    • 2月14日 - 尼崎渡海船仲間と大坂上荷船・茶船仲間は、双方が相手の地から米などの荷物を積み出した際に支払うべき小廻り賃などを定め証文を取りかわした。
  • 1743年(寛保3)
    • 2月1日 - 幕府は西宮・兵庫および西国筋などの絞り油の江戸直積みを禁止した。
    • 閏4月1日 - 武庫井組4か村は、各村への分水の割合を村高から井掛り高に変更する証文を取りかわした。
    • 7月 - 川辺・武庫郡の27か村は、干鰯の高値が下屎類にまで及んだため大坂干鰯問屋新・古組のせり合い買い取り停止を大坂町奉行所に訴えた。
    • 10月26日 - 大坂町奉行所は、干鰯値下げと尼崎伊丹池田西宮での油粕・焼酎粕買占め禁止を大坂の干鰯問屋に申し渡した。
    • 11月8日 - 尼崎藩は、今後100文以上の取引にはすべて銀札を用いるべきことなどの御救銀札の規定を触れた。
    • 12月20日 - 大坂町奉行所は、尼崎西宮兵庫の番非人を大坂四か所長吏の輩下とした。
  • 1744年(延享元・寛保4)
    • 1月7日 - 尼崎藩は、正銀銭での取引き停止、銀札を専ら用いるべきことを触れた。
    • 12月12日 - 大坂町奉行所は、尼崎および塚口村の馬持ちと伊丹馬借の争論について、尼崎と塚口村に神崎回着荷物は扱わせないが、両所の荷馬が口銭を払って伊丹以遠へ通るのを認めた。
    • この年 - 幕府勘定奉行神尾春央らが上方筋幕領を巡見し、年貢を増徴した。
  • 1745年(延享2)
    • この年 - 多田の山下町の検地で銅気入り高引きが認められた。
  • 1746年(延享3)
  • 1747年(延享4)
    • 11月 - 脇浜など7か村浦々は、尼崎領外であることを理由に朝鮮信使接待入用銀の免除を求めて大坂町奉行に出訴した。
    • 12月2日 - 尼崎藩は、貢租米郷払い不振のために在方米屋・酒屋の他国米買入れ禁止、郷払い米入札の勧奨を大庄屋に命じた。
  • 1748年(寛延元・延享5)
  • 1749年(寛延2)
    • 1月 - 姫路藩領全域にわたり百姓一揆が発生した。
    • 2月3日 - 尼崎藩は、出屋敷の茶屋杢左衛門銀札の引替えを2月6日から開始すると触れた。
    • 2月14日 - 大坂町奉行所は、三ツ又井組村々など14か村の願いにより延享2年の洪水で埋まった藻川猪名川分岐点の猪名川口の瀬掘りを許した。
    • 8月21日 - 東長洲中長洲金楽寺村が潮江村相手に起こした水論で、潮江村字古茶屋の堰を取り払うことで和談証文がかわされた。
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