1790年代

寛政7年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 17世紀 - 18世紀 - 19世紀

  10年紀: 1760年代 1770年代 1780年代 - 1790年代 - 1800年代 1810年代 1820年代

  各年: 1790年 1791年 1792年 1793年 1794年 1795年 1796年 1797年 1798年 1799年


  1790年から1799年までの10年間を指す。

1790年代の年表

  • 1790年(寛政2)
  • 1791年(寛政3)
  • 1792年(寛政4)
    • 閏2月3日 - 万多羅寺村の百姓11人は、近年の水論一件・村方諸入用の勘定が過分であるとして、庄屋の糺明を領主近衛家に訴えた。
    • 10月23日 - 万多羅寺村百姓が村方勘定をめぐって領主近衛家に庄屋の糾明を訴えていた件について、同じ近衛家領である伊丹3か村の庄屋が仲裁に入り、万多羅寺村の庄屋が退役した。
    • 12月 - 塚口生津時友など隣接20か村は、奉公人給銀の高騰に対して給銀の2割値下げを決め、奉公人の雇い入れ方法・給銀額ほかについての請状に連印した。
  • 1793年(寛政5)
  • 1794年(寛政6)
    • 6月11日 - 武庫・川辺・豊島3郡97か村は、尼崎・西宮・伊丹・池田近辺の干鰯商人の買占めを発見次第訴え出ることの承認および大坂干鰯問屋・仲買による干鰯俵の仕替え禁止を大坂町奉行所へ訴えた。
    • 6月13日 - 摂津・河内両国の650か村は、肥料商人の糺明と肥料の値下げを大坂町奉行所に訴えた。
    • 6月15日 - 大井組三平井組は、寛政2年以来の水論について、藻川沿い村々を含む3者で和融の証文を取りかわした(三平井組・大井組水論)。
    • 7月11日 - 旱ばつにさいして野間井組内で井親3か村と井子4か村の番水争論が起こり騒動になった。
  • 1795年(寛政7)
    • 2月 - 『狂歌芦分船』に尼崎の梅輔・味文・可分・南雅・桃貫・湖月・霓風・我笑・光谷・白橋の歌がみえる。
    • 4月13日 - 野間井組の井子4か村は、井親の野間・友行村を相手取って用水妨げ出入りを起こした。
    • 8月1日 - 津門村は、年貢皆済以前の米の販売許可を尼崎藩に申請し許可され、請証文を提出した。
  • 1796年(寛政8)
    • 12月5日 - 伊丹の馬借問屋・馬年寄は、宿駅ではない尼崎で中長洲村儀右衛門が牛札を売って多くの荷を運ばせること、伊丹の荷牛馬から口銭を取ることの停止を大坂町奉行所に訴えた。
  • 1797年(寛政9)
    • 2月13日 - 伊丹の馬借問屋・馬年寄と中長洲村儀右衛門との争論は、儀右衛門が今後牛札を売らないなどの請書を大坂町奉行所に差し出して落着した。
    • 4月14日 - 幕府は菜種の売買を農民と絞り油屋の直接取引に限り、摂河泉在々絞り油屋の油小売を禁止した。
    • 5月15日 - 尼崎藩は、尼崎町の掛屋樋口屋十郎右衛門名義の新銀札発行を触れた。
    • 5月18日 - 猪名川の流水が変わったために大井組三平井組の間の堰の場所をめぐって水論が起こった。
    • 5月 - 大坂雑喉場生魚問屋は、尼崎・堺沖での出買荷物は抜け荷とみなし市場で売買しないことをあらためて申し合わせた。
    • 6月11日 - 5月以来の大井組三平井組の間の堰の場所をめぐる水論は、両井組とも三平井の堰から水を取ることで内談が成立した(三平井組・大井組水論)。
    • 7月9日 - 伊丹駅の馬借が伊丹・池田からの出し荷物を差し押えて尼崎問屋側の牛馬に荷を付けさせなくなったことについて、尼崎の問屋が尼崎藩へ訴えたのに対し、藩は取調べ終了まで尼崎神崎での伊丹荷物の請払い停止を命じた。
    • 閏7月18日 - 伊丹の造酒家・樽屋仲間・米仲買らは、江戸積酒・米・樽材などの荷扱いを行なうよう神崎荷問屋に命じることを求めて大坂町奉行所に訴え出た。
    • 閏7月25日 - 伊丹馬借所の問屋たちと尼崎・神崎の荷問屋たちの和談が成立し、尼崎・神崎で預かっている伊丹荷物は従来どおり滞りなく牛馬に付けさせることになった。
    • 10月27日 - 武庫・川辺・豊島3郡の村々は、菜種販売の自由および在々絞り油屋の油小売解禁を大坂町奉行所に訴え出た。翌年にかけて三郡・近隣から、同様の出訴が相次いだ(菜種訴願)。
  • 1798年(寛政10)
    • 1月27日 - 川辺郡の尼崎藩領29か村は、村民の菜種を大坂市中および在々の絞り油屋・種物問屋へ販売する菜種売子35人の免許を大坂町奉行所へ願い出た。同月29日に許可され請書を提出した。
    • 4月13日 - 東長洲西長洲金楽寺村が久々知潮江村地内に掘った溝の堤が久々知・潮江両村の排水を妨げたことから水論になった。
    • 9月 - 尼崎藩は、農民が年貢皆済以前に上納分以外の米を売ることを内々で認める、と触れた。
    • 11月 - 伊丹郷摂泉十二郷の江戸下り酒積み控えに反対し、単独で仕込み・輸送を実施した。
    • この年 - 高洲新地の地主たちが、尼崎城下惣町に命じられた川浚えの土砂を、高洲西新地の普請用に引きうけたいと藩に願い出た。
  • 1799年(寛政11)
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