寺町

てらまち
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  近世以来の、城下町の西北部に位置する町名であるが、城下八町には含まれず別所村の一部であった。1618年(元和4)に開始された尼崎城の築城に際して、中世以来の尼崎四町や城地にあった寺院を集中したもので、門前町や寺内町を形成していた寺院を町場から分離して勢力を弱める目的と、城下町の北西に大建築の寺院群を配置して防衛機能をもたせるねらいがあったものと思われる。

  寺町の建設により、城地にあった大覚寺本興寺如来院大物町廣徳寺栖賢寺甘露寺風呂辻町長遠寺別所町法園寺などが、多くは元和年間(1615~1624)に移転したと考えられる。築城当時の寺数は不明であるが、戸田氏時代の1635年(寛永12)の尼崎城下絵図(大垣市立図書館蔵)には20か寺、1711年(正徳元)の松平氏の入封直後には16か寺を数えている。藩主の交替にともなう移転や廃寺などの変遷があり、現在寺町にあるのは東から全昌寺、本興寺、廣徳寺、常楽寺、甘露寺、善通寺、法園寺、大覚寺、長遠寺、如来院、専念寺、の11か寺で、築地町とともに旧城下町の町並みをもっともよく今に伝えており、1989年(平成元)7月には市の都市美形成地域に指定され、景観の保全・整備が進められている。

  近代には大字別所の町名となり、1930年(昭和5)の町名改正で一部が開明町に含まれることになった。

執筆者: 地域研究史料館

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